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No.298

コロナ禍を転じて福となしていきましょう!

             理事長 石渡 博明

 コロナパンデミックについてはこの一年、毎号のように本欄でも触れてきましたし、できるだけ平常心を心がけてきたつもりですが、濃厚接触も含めて、いよいよ事務局にもコロナが迫ってきたようです。

 援護協会ではこれまでなかったことですが、コロナの影響で盲学校の夏休みに帰国ができなかったキルギスのサマットさん、サマットさんの友人で台湾の田中君の宿泊を受け入れ、寮母(関口)さんのご協力もあって、なんとか長い夏休みを凌いでくることができました。

 とは言え、インドネシアからは、17番目の留学生・アグスさんがコロナで亡くなるという悲しい知らせまで入ってきてしまったのです(6ページのプトゥルさんの報告を参照してください)。

 そうした中、補助金廃止で事実上ストップになってしまった留学生招聘事業の再建のめどはいまだ立っていませんが、『国際大会報告集』を読んでくださった方の中から、世論を喚起すべくマスコミ関係者をはじめとして多くの方のご紹介があったり、「Crossing Oceans with a White Cane」と題したIAVIの紹介番組が、9月26日のNHK国際放送で再放送されるとの朗報も入ってきたりしました。

 禍福はあざなえる縄の如し、と言います。禍を転じて福となすことができるよう、共に自重しながらも頑張っていきましょう。

 

≪マレーシアからの報告≫

                   ノライニ・アズリン(マレーシア)

 皆さん、お変わりありませんか。日本滞在中はいろいろお世話になりました。このたび新型コロナウィルスにより皆さんいろいろ大変なご苦労をされていると思いますが、私もこのコロナによって経験したことを次に簡単に述べてみます。

緊張の中、自宅へ

 昨年の春に筑波技術大学を卒業し、4月の上旬に帰国した。その際、マレーシアでコロナ感染が増えたため、2週間ほど前からすでに全国がフルロックダウンになってしまった。3月の28日、日本出発の2日前に、航空会社から連絡が来て、「予約した飛行機はもう飛べなくなったため、マレーシア大使館に早めに連絡して下さい」と言われた。当時頭の中が真っ白になってビザの期限しか考えられなかった。それで慌てて大使館に連絡したら、4月3日に別の飛行機会社のチケットがやっと手に入った。飛行機はマレーシア人ずくめで満席だった。隣の席の方とお話ししたら、「今夜の0時から帰国する人々は家に帰れず、国が用意された場所に連れられ、14日間待機しなければならないんだ」と聞いた時、ますます不安になった私は到着時間を確認した。直行便で7時間のフライトは何故かいつもより長く感じた。緊張のあまりに、1人の日本人キャビンアテンダントに伝わったのか声をかけて下さった。どうして日本語が喋られるとか、日本で何をしたとか、いろいろ聞かれて、少し頭からコロナの心配が離れられた。卒業式がなかっただろうと予想され、1袋のプレゼントと手書きの葉書をいただいた。「ご卒業おめでとう、日本語がとても上手で、少しの時間でもお話しができて楽しかったよ」と書かれて。ほんのちょっとの間なのに、今後会うこともないかもしれないのに、それでも私の心に響いて感謝の気持ちが溢れていた。

 夜8時ごろにクアラルンプール空港に着いた後、今まで24時間営業のお店も閉まっていたのを見て、こんなふんいきは初めてだ。イミグレーションまでは皆さん静かに歩いていた。外へ出る前に健康状態を検査されるため、30個ぐらいテーブルがずらりと並べられ、1人ずつ診断を受けた。その場所では飛行機の乗客と空港のスタッフ以外は個人用保護具を装着したため、お医者さんと看護婦さんの顔を拝見できなかった。11時前に自宅に着いたら、裏のドアから入り、すぐにもシャワーを浴びた。母が用意してくれたお湯の中に自分の私服を浸した。そして自分の部屋で14日間の待機が始まった。おかげさまでウィルスにかからず、今日まで元気に暮らしている。

  人々の生活

 ロックダウン中には、朝8時から夜8時までのエッセンシャルサービスに関する営業しかできなかった。その上、外へ出るのは1台の車に対して1人のみだった。当時なぜか食パンとカップラーメンがほとんどの店から消えていた。自宅から10キロ以内しか外出できなかったし、どこでも警察官や軍人が待っていて、1台1台の車を止めて行く先を確認していた。通勤や病院に関わる人は許可証を見せなければならなかった。買い物で出かける人たちは目的先を確認され、警察官と軍人の判断でUターンしなくてはいけない事がほとんどだった。

レストランからデリバリーサービスが可能だったが、昔から国民に愛された道端や屋台での営業はロックダウン中に禁じられたため、今まで外食文化のマレーシア人にとっては大きなショックだった。

  国に営業を認めさせる

 長くて厳しいロックダウンを経て、やっと7月の上旬にいくつかの禁じられた事が出来るようになった。国が用意したアプリで、どこの店に入っても、QRコードをスキャンしたり体温を測定したり、色々な新しい事をやらないといけなかった。もちろん、ほとんどの企業はロックダウンの影響を受けているし、マッサージの仕事も例外ではなかった。私たちは治療院を閉めなければならず、間違いなくオンラインでマッサージを運営する事はできないので、今までマッサージで生計を立ててきた視覚障害者が一番厳しい状況だった。他の事業部門が操業を開始出来た当時、患者との直接の接触を必要とするという理由で、マッサージ業は許可されていなかった。その結果、いくつかの盲人団体は、視覚障害者にも他の人のように働くことができるように、政府からの許可を求めて動いた。マレーシアの有名なテレビ局の朝番組のプロデューサーより、今風に注意を引くためにこの問題点について議論するよう母が取材を受けるようにした。放送した同日の夕方に、社会福祉部は、盲人協会の代表と視覚障害者のマッサージ業界の方々10名に、治療院の標準的な運営手順(SOP)を構築するよう呼びかけた。また、私も話し合いに参加する機会も与えられた。まとめたSOPが許可されたため、国家安全保障評議会に送られた。みんなが毎日ドキドキしながら結果を待っていた。SOPを立てた話し合いの日から1週間後、毎日午後4時に放送される現在のCOVID-19の状況紹介の番組で、上級セキュリティー大臣は、確立されたガイドラインに従って、マッサージ事業を運営できると発表した。友人との共有と自分たちの経験から、発表が行われた途端に患者さんからの予約を受けて、電話やメッセージが止まらなかった。確かにマッサージ師にとっては朗報だったし、長い間家に閉じ込められた後、肉体的、精神的に疲れた患者さんにとってもあまりにも嬉しいニュースだった。

  厳しさが再び

 年末まで治療院が営業できたが、2021年に入り、毎日の新型コロナウィルスの感染者数が上昇したため、残念ながら再びロックダウンを宣言された。3月と4月にまた治療院が開けるようになったが、再び5月から現在までマッサージの仕事が禁じられている。仕事がない視覚障害者のマッサージ師たちがどう暮らすかは、きっと皆さんにも疑問があると思う。今までほとんどのマッサージ師は固定給ではなく歩合給で充実していた。マッサージの仕事をしなければ、給料はないシステムだった。毎月10,000円ほどの年金以外にも、このロックダウン中には様々なボランティア活動で食品や食事を無料で配っている。治療院の患者さんたちも常に連絡をし、7人のスタッフに現金を寄付していただいた。

  明るい未来に向けて

 コロナウィルスが実際にいつ終わるか誰にも答えがない。それでも、間違いなく多くの人々の生活を変えた。その中に長い間やって来た事業を閉鎖しなければならなかった人もいた。逆に、多くの企業が事業部門をオンラインビジネスに切り替え、以前の生活よりも贅沢に暮らせるようになっている人も少なくない。もちろんオンラインでマッサージサービスを行う事はできないが、多くの人々が既に日常生活の中で健康と幸福に気づき始めているので、マッサージサービスはこれまで以上に繁栄する可能性があると思う。

皆さん、コロナに負けないようにがんばりましょうね。どうか日本の皆さん、お体にお気をつけ下さい。また、お会いできる日を楽しみにしています。

 

≪残された私たちが頑張らねば≫

      プトゥル・ウィウォホ(インドネシア)

 コロナの感染者は今少し減ってきて、バンドンでは1日10人くらいで、先月は50人くらいでした。入院は難しいので、ほとんど家で療養しています。多くの人はコロナの危険性をあまり認識していなく、マスクなどもあまりしていなく、感染が拡大しました。そして病院に入れない状況を知って、その恐ろしさを知って感染予防に注意を払うようになりました。午前6時から午前9時までと、仕事からの帰りの時間は、みんな外出はできますが、それ以外は外出はできません。マスクと手袋をしないと、罰金になりますが、私たちは「触る」ことができないと困るので、手袋の指の先を切って使っていたりします。

 視覚障害者はマッサージの仕事がほとんど。マスク、手袋、消毒をきちんとすれば良いが、とにかくお客が来ないので、今は全然仕事がない。政府から支援があるが大変少額です。だからみんな別の仕事をしています。路上で歩きながらクルプック(大きなえびせんのようなもの)を売る人が多い。でも、交通事故にあう人も多いようです。音楽の仕事をする人もいるが、演奏するお店がコロナでできないので、大変です。

 私には子供は3人います、大学2年と高校生1年の女の子。中学3年の男の子です。子供たちを含め、ワクチンは妻と私も、2回打っています。夜の食事は必ず一緒に食べて、子供たちの学校での様子などを聞いています。

 仕事はバンドンの盲学校で指圧、マッサージを教えている公務員です。

 高校生というのではなく、職業に就くための勉強で、簡単なツボだけを教えるので、日本に比べるとレベルは大変低いです。希望によって勉強する期間は違います。1カ月とかであればそれに対応したカリキュラムを作り教えます。2年前までは2年間学ぶということでしたが、国の経費削減からか、今はこのようになっています。一番若い生徒が35歳、49歳が最高です。生徒と先生が2週間に一度コロナの検査をしているので、普通通り事業をしている。

 ところで、大変悲しいことがありました。アグス・ピトヨさんは、訪問マッサージの仕事をしていました。体調が悪く1週間ほど自宅で薬を飲んで療養していましたが、回復しないので入院。そこでコロナの感染が判明して、酸素吸入の設備のある病院に転院し治療を受けました。しかし、病状が悪化して8月5日に亡くなったとのことです。彼は、以前から腎臓の病気があったのです。大学生と高校生の子供さんがいて、奥さんも全盲のようです。

 明日、点字協会の仲間と、ジャカルタの近くのタングランの家族に会い、今後の仕事などで相談しに行くとのことです。

 先輩をなくし大変悲しいが、インドネシアの留学生は私と、フローレス島のマリア、ヨフィタの3人だけになってしまいましたが、頑張らないといけないと思っています。今は、援護協会の紹介で日本語を教えてくださる方が見つかり、日本語を勉強しています。

(8月18日に本人に聞き取り)

 

≪ベトナム、ホーチミンよりのご挨拶≫

           ブイ・ヴァン・タン(ベトナム)

 みなさん、お元気ですか。お久しぶりですね。タンです。

 今回、新型コロナウイルス感染、最近はデルタ株というのが世界的に広がっていますけど、そのなかで日本、ベトナム、インドネシア、ミャンマーで特に感染者がたくさん増えていますね。

 こちらベトナムの感染者が一日8000人くらい出ています。ベトナムでは4回目の感染拡大になっています。そして初めて一日200人死亡者が出ています。すごく大変だと思います。

 5月初めから、緊急事態がだされ、店や会社など、みんな閉まっていて、家にいるように決まっています。6月にロックダウンになって、そして7月に規制が強くなって外出禁止令が出されました。僕は一人家にいて、一週間に1回くらいスーパーまで食材を買いに行くことだけです。

 毎日自分で作って食べていますけど、初めて料理を作ったので、2回くらい失敗してしまいましたが、それからはうまくなっています。毎日一人でご飯食べてお腹安心しています。

 それから、家で日本のオリンピック見ています。サッカーなどですね。今回初めてだと思いますが、日本すごく頑張って、新型コロナ感染が広がっている中で、頑張ってオリンピックを作っていると思います。本当に大変ですね。

 これからコロナ感染がどうなるかわかりませんけれども、終わってほしいですね。こういう何もできていない状態で、本当に未来は暗いけれども、これから頑張らないといけないですね。皆さんも頑張りましょう。

(8月8日、ホーチミン市より)

 

浅野さんの思いを

各国の元留学生への日本語サポート活動へ

                       理事 新井愛一郎

 今年の春から帰国留学生たちへの日本語サポートを開始しました。

 これは、昨年に急逝された浅野有里さんの思いである「日本語を学ぼうという視覚障害者にできるかぎりサポートしたい」ということを、少しでも実践していこうとスタートした活動です。

 LINEやWhatsAppというインターネット会話アプリを活用して行っています。

 ロータス通信等で呼びかけをして何人かの方が協力してくれることになり、タイ、インドネシア、マレーシア、韓国の4か国、5人の方の日本語の勉強会が始まりました。今回は、お二人から感想を寄せてもらいました。

 今、5人が勉強していますが、実はさらに日本語を勉強したいという元留学生たちがいます。日本とのつながりを、日本語を再度学んでもらう中で、さらに強いものにしていき、元留学生全員が通訳者になり交流の懸け橋の役割を果たせるように、なってもらいたいと思います。

 そして、このような活動を基本にしながら、日本国内外で日本語を学びたいという視覚障害者を中心に、学ぶことに困難な人々に、日本語を学ぶ機会を作るような活動をしていきたいと思います。それが、浅野有里さんの遺志を継いだ活動になるのだと確信します。

 日本語教育に携わる方々はもちろん、一緒にサポートしていただける方、彼らとお話をしていただける方を募集します。ぜひとも、ご協力ください。

 

「日本語学習を架け橋に」

       近藤 直美 (横浜市在住)

 きっかけは2021年新春「AOTS友の会短信」*に載った石渡理事長の「LINEで帰国留学生とお話しいただける方を募集中」の記事だった。「日本語を教えるというよりは、一緒にお話ししていただけることが何より大切」との説明に、経験無しの私にもできるかな、と手を挙げた。3月に新井理事から連絡があり、タイのラクサックさんと毎月曜日夜9時から1時間程度、L I N Eで日本語会話を実施することになった。

 月曜日の会話は世間話から。コロナ感染状況、ワクチン接種、オリンピック・・・話題には事欠かず、冗談も交えながら盛り上がり、前半30分はあっという間。後半は新聞記事をネタに。ホットな話題について生きた日本語が学べて面白いと言うが、彼の吸収力、記憶力には舌を巻く。内容が本人の関心にマッチすると、話したいという気持ちも倍増するので、会話練習を行う上でトピックは重要だな、と思う。

 6月に新井さんから、元留学生向けに新聞記事を音読してみないかとご提案頂いた。ど素人に務まるのかと不安に思ったが、今送っているという機械読みのサンプルを聞いて、これならまだ私が読んだ方がマシなんじゃないかと、やらせてもらうことにした。視覚障がい者に役立つ、あるいは知っておいてもらいたい内容の記事を、週一回新井さんが送ってくれ、私がLINEのボイスメッセージに録音して返送する。それを今度は新井さんが11カ国、22名の元留学生にそれぞれのお国事情にあったアプリで送信して下さる。新聞記事は硬い表現が多いのでラクサックさんとのやりとりを思い起こしながら、易しい日本語で解説を加えることに。毎週2本の新聞記事の音読とその言葉の説明を送る、というスタイルが出来上がった。

 7月に新井さん主催でZOOM会議をし、中国とケニアの勉強熱心な方の意見を直接伺った。概ね好評でほっと安堵。各国の聴き手に思いを馳せながら、漢字圏の方に分かりやすい説明、非漢字圏の方様に英語訳を入れるなど、工夫を重ねている。日本語レベルの異なる受け手のニーズにどう応えるかというソフト面と、配信に関するハード面の課題があるが、一歩一歩改善し、日本と各国のつながりを一層強めていけるといいと思う。 *AOTS:(財)海外技術者研修協会は筆者の元勤務先。石渡さんは大先輩に当たる。

 

「2時間は瞬く間に過ぎる」

         高柳 直正 (東京都北区在住)

 ソウル在住の朴さんが、日本語の実践的な勉強をしたいというご希望があり、毎週1回LINEでお手伝しています。

 視覚にハンディがあるとは思えない完璧な日本語を話され、鋭い質問に対応するため、私自身の日本語の勉強に追われるほどです。2時間の予定時間で、1週間の近況、出来事、ニュースのやりとりから始まり、日本語についての用意された質問。そのあと、朝日新聞社説を読み、内容について補足します。

 「?すると、?したら、?すれば、?なら」はどう使い分けるのか。出張から会社へ「帰る」と「戻る」は同じか違うか、アツイとアツイと、なぜ二つあるか、(暑と熱)。漢字を通さずに、理解するのはいかに大変か! 

 東京下町と山の手の違いは? 地図や写真でお示しできないもどかしさ。柳田国男って? なぜお盆は8月と7月にもあるの? なぜ日本はずっと自民党政権が続くのか? 原爆訴訟の判決内容は? 

 2時間は瞬く間に過ぎる。曲りなりに日本語教育単位取得、資格試験合格したといっても、教えることの難しさを毎回痛感します。

 

<サポートを受けている二人>

〇タイのラクサックさん

 日本留学中の3年間は専門の理療の勉強で精一杯。自然に話せるような日本語能力を身につけたいとのこと。日本の高齢視覚障害者の問題への取り組みと交流して、タイでの活動を行いたいとのこと。

〇韓国の朴さん

 先月、韓国の団体から依頼されて、日本の全国盲ろう者協会との講演会で通訳。盲学校で日本語授業も担当。彼の質問には国語辞書が不可欠。

 

◎本の紹介◎

ビジュアルブック∞障害のある人とともに生きるone

 『目の不自由な人をよく知る本』

                芳賀優子 (さいたま市在住 会員)

「障害のある人のリアル」を知るための図鑑が、シリーズで出版されることとなりました。その記念すべき第1巻が、2021年1月20日出版の、ビジュアルブック「目の不自由な人をよく知る本」です。

 特徴は、事前に多くの視覚障害者にアンケートやインタビュー調査をして、関係機関にも丁寧な取材をしてつくられたこと。「視覚障害者」という十把一絡げではなく、「○○さんの子育て」「○○さんの学校生活」というように?一人の個人?として表情豊かに描かれ、解説されていることです。

 また、「図鑑」という特徴をフル活用して、視覚障害者が普段使っている福祉機器や補助具、便利グッズなどが、写真や図を中心に、簡潔な文章でわかりやすく紹介されています。学校での授業の工夫、視覚リハビリテーションの訓練の様子なども、写真付きで説明されています。読者対象は、小学校中学年以上ですが、もちろん大人にも十分、読みごたえがあります。

 「共生社会の一員として、子どもたちの偏見や間違った思い込みを取りのぞき、 関心を持ち、正しく理解するための新しい障害学習図鑑をつくろう」と、合同出版株式会社と公益財団法人共用品推進機構が、「障害のある人とともに生きる本編集委員会」を立ち上げました。私事ですが、この書籍の編集に関わり、第5章を中心に解説やエピソードなどを書きました。

視覚障害の理解はもちろんですが、これから出版されるであろう図鑑で、自分とは違う障害のことを知るのも、とてもおすすめです。

◎図書データ◎

書名:『目の不自由な人をよく知る本』

監修:田中徹二(日本点字図書館理事長) 猪平眞理(宮城教育大学教授)

編集:障害のある人とともに生きる本 編集委員会

出版社:合同出版株式会社       ISBN:9784772614443

判型・ページ数:A4変・104ページ

定価:4,180円(本体3,800円、税380円)

※本書を購入された方で、活字での利用が困難な方に、テキストデータの提供を行っています。詳細は奥付をご覧ください。

 

<本号の写真>

       プトゥル.jpg

         手をとって生徒の指導をするプトゥルさん。

 

    目の不自由な人をよく知る本.jpg 

        「目の不自由な人をよく知る本 」


 

=業務日誌=

7月 2日 コーコーさん、ミャンマー大使館・入管訪問。

   4日 Bシリンさん、日本語能力試験受験。

   6日 ミャンマー大使館訪問。板橋SDGs原田さんと打合せ。

  10日 日本点字図書館用具部訪問(白杖受け取り)。

  12日 東京ガス、来館・検針。

  13日 芳賀さん来館・「ロータス通信」テープ版作成作業。

  17日 サマットさん、田中孟文くん、来館・宿泊(夏休み)。

      サマットさん、都障害者スポーツセンター訪問・登録。

  19日 Bシリンさん、志村福祉事務所訪問・補助申請。Bシリンさん、入管訪問・ビザ取得。

  21日 バヤルさん、入管訪問・ビザ取得。

  25日 いたばしSDGsと板橋区議との情報交換会に参加。

  29日 高田さん(寮母)入院・手術。

  31日 サマットさん、代々木公園でマラソン参加。

8月 3日 サマットさん、都身障者スポーツセンターで水泳。

   6日 コーコーさん、入管訪問・ビザ取得。横浜南区役所訪問。

   7日 高田さん、退院。

  11日 Bシリンさん、日点でパソコン講習開始。

  13日 IAVI夏休み。

  15日 田中くん、コロナワクチン接種。

  16日 サマットさん、病院引率。田中くん、副反応で発熱。

  17日 田中くん、病院引率。

  18日 筑波盲・工藤先生(田中君の担任)来館、お見舞い。

  19日 サマットさん、宮平君、東京タワー見学。

  20日 吉本さん(サマットさんの同級生)、来館・懇談。

  21日 一枝のゆめ財団評議員会に出席。

  26日 サマットさん、筑波盲寄宿舎に移動。

  27日 日点用具部訪問(ブレイルメモ・白杖受け取り)。Bシリンさん、丸尾眼科受診。

  28日 田中くん、筑波盲寄宿舎に移動。

  29日 新村さん夫妻、来館、情報交換。

9月 2日 板橋福祉部長との話し合いに参加。

  16日 『ロータス通信』第298号墨字版、発送作業。

  24・25日 WBU-APマッサージセミナー(ZOOM)に参加。

  26日 NHKTV国際放送、IAVI紹介番組再放送。

  28・29日 板橋区立加賀中学の学生さんの見学受け入れ。